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万叶部分作品解说

来源:一二三四网


* 本文章の執筆者は、以下の通りであり、その両名が著作権を有しているので、無断転載を禁じます。

(一)日本語での表現: 恩田 満(フロンティア・セミナー) (二)中国語への翻訳: 徐 仙梅(広東外語外貿大学・大学院)

『万葉集』

【作品解説】

『万葉集』は、現存する最古の歌集で、全二十巻・四千五百余首から成る。大伴家持が編纂したとされる。短歌(五音・七音・五音・七音・七音)・長歌(五・七・五・七・五・七・・・五・七・七)・旋頭歌(せどうか・五・七・七・五・七・七)・仏足石歌(ぶっそくせきか・五・七・五・七・七・七)・連歌(上句と下の句を二人で唱和する歌)という五つの歌体を持ち、三百五十年以上にわたる全国各地の各階層の人々の歌が収められている。全体として、ゆたかな人間性に基づいた素朴でおおらかな感情が率直に表現された歌が多い。修辞上は、枕詞・序詞が見受けられる程度で、とくに凝った技法は用いられていない。

【作品解说】

《万叶集》是日本现存最古老的和歌集,全书共二十卷,据传为大伴家持所编,共收录和歌四千五百余首。歌体分五种,即:短歌(五音、七音、五音、七音、七音)、长歌(五、七、五、七、五、七„五、七、七)、旋头歌(五、七、七、五、七、七)、佛足石歌(五、七、五、七、七、七)、连歌(两人对咏上下句),一共收录了三百五十多年间全国各阶层创作的和歌。从整体上看,《万叶集》以表现丰富人性中素朴和豁达感情的作品居多。论其修辞方法也仅限于枕词、序词,鲜见虚饰。

にきたつ

ふなの

つきま

しお

いま

ぬかたのおおきみ

熟田津に 船乗りせむと 月待てば 潮もかなひぬ 今は漕ぎ出でな (額田王)

【注】

熟田津・・・愛媛県(えひめけん)松山市の道後温泉の近くにあった船着き場。[爱媛县松山市道后温泉附近的一个码头。]

せむと・・・しようと。「せ」はサ変動詞の未然形、「む」は意志の助動詞の終止形。[意欲„。“せ”,サ变动词的未然形,“む”,助动词终止形,表意志。]

月待てば・・・月の出を待っていると。斎藤茂吉の説では、「満月で満潮の時を待つ」とある。[等月亮升起,于是„。齐藤茂吉有语:“望月之夜待满潮”。]

潮もかなひぬ・・・潮も望み通りに満ちてきた。「かなふ」は、望み通りになる・思うようになるの意。[潮水如愿满涨。“かなふ”,意为如愿„、随心„。]

漕ぎ出でな・・・漕ぎ出そう。「な」は、上代の終助詞で、「~(し)よう」という意志・勧誘を表す。[开始划

船吧。“な”,上代的终助词,相当于“~(し)よう”,表意志、劝诱。]

額田王・・・『万葉集』初期の代表的女流歌人。初め大海人皇子(おおあまのみこ)に愛され、後にその兄の天智天皇と結婚した。[《万叶集》初期代表女诗人。最初受到大海人皇子的宠幸,后成为大海人皇子之兄天智天皇的皇妃。]

【現代語訳】

熟田津で、船を出そうと、月の出を待っていると、いよいよ潮も望み通りに満ちてきた。さあ、いまこそ船出をしよう。 【译文】 侯船熟田津 盼月待迟迟 汐生恰合意 正是出航时 【解説】

斉明6(660)年、朝鮮半島の百済(くだら)が、新羅(しらぎ)と唐によって侵略され、日本に支援を求めてきた。日本はこの支援要請を受けて軍を出立させた。斉明天皇(さいめいてんのう)、中大兄皇子(なかのおおえのおうじ・のちの天智天皇)、額田王たちも一緒であった。額田王は神事にかかわる人であったので、このような時に月や潮の様子を見て、出航の時刻を決定する役割を担っていたのであろう。おおらかな歌ではあるが、ここには任務に対する彼女の強い確信と決断とが表れている。 【解说】

齐明六年(公元六六零年),朝鲜半岛的百济遭到新罗与唐朝的攻打,遂向日本求援。日本接受请求并派出援军。齐明天皇、中大兄皇子、额田王一行也在行军之列。或许因为额田王通神明,所以当时肩负起了观潮势以定出航时间的重要任务。这首作品风格豪迈,表现出了额田王对待任务的自信和果断。

天皇の、蒲生野に遊猟したまひし時に、額田王の作れる歌

あかねさす 紫野行き 標野行き 野守は見ずや 君が袖振る (額田王) 【注】

天皇・・・天智天皇。第三十八代天皇。在位六六八~六七一。額田王の夫。[天智天皇。第三十八代天皇。六六八~六七一年在位。额田王的夫婿。]

蒲生野・・・現在は滋賀県・東近江市にある蒲生野の付近。当時は狩り場があったと伝えられる。[现在的滋贺县东近江市蒲一带。据传此地当时有围场。]

むらさきのゆ

しめの

のもり

きみ

そでふ

すめらみこと

がもうの

みかり

ぬかたのおおきみ

つく

うた

遊猟・・・五月五日に行われた男女ともに参加する薬猟で、男子は鹿茸(強精剤である鹿の袋角)を獲り、女子は薬草を採った。[五月五日举行的男女共同参加的药猎,男子猎鹿茸(壮阳鹿角),女子采草药。] 作れる歌・・・作った歌。「る」は完了の助動詞で、サ変の未然形か四段動詞の已然(命令)形に接続した。[作的和歌。“る”是完了助动词,接于サ变动词的未然形或是四段动词的已然(命令)形之后。]

あかねさす・・・もともとは、あかね色に照り映えるの意であったが、ここでは「紫」にかかる枕詞。他に「日」「昼」「照る」などにもかかる。[原意指映照成暗红色,此处充当“紫”的枕词。另与“日”、“昼”、“照る”等也相呼应。]

紫野・・・紫草の群生する野。[紫草丛生的原野。]

標野・・・紫草の栽園として朝廷が管理し、一般人の立ち入りを禁止した野。[朝廷管理的紫草种植地,这种田野禁止一般人入内。]

野守・・・野の番人。[田野的看守者。]

見ずや・・・見ていないだろうか。[没在看着吗?]

君・・・ここは額田王の前夫であった大海人皇子を指す。[此处指额田王的前夫,大海人皇子。] 袖振る・・・これは愛情表現の一種。[一种表达爱意的方式。]

【現代語訳】

天智天皇が蒲生野に狩りにお出かけになった時に、額田王が作った歌

紫草の群生する蒲生の野をあちこちお歩きになって、私に向かってあなたが袖をお振りになるのを、野の番人は見ていないでしょうか。私はそれが心配です。 【译文】

天智天皇到蒲生野狩猎时,额田王所作的和歌。 紫草葱郁蒲生野 含情相望乱心弦 见君忘形挥衣袖 尤恐鹰犬入眼帘

皇太子の答へませる御歌、

むらさき

おえ

いも

にく

ひとづま

こい

おおあまのみこ

紫の にほへる妹を 憎くあらば 人妻ゆゑに われ恋ひめやも (大海人皇子)

【注】

皇太子・・・大海人皇子(おおあまのみこ・のちの天武天皇)。天智天皇の弟。額田王の前夫であった。[大海人皇子(后为天武天皇)。天智天皇的弟弟。额田王的前夫。]

答へませる御歌・・・お答えになった御歌。「ます」は尊敬の補助動詞。「る」は完了の助動詞「り」の連体形。[答歌。“ます”,表尊敬的补助动词。“る”,完了助动词“り”的连体形。]

紫の・・・紫草のように。「紫」は多年草で、根は紫色であるが、花は可憐で白く小さい。「の」は「~のように」と訳す連用修飾格の格助詞。[如紫草一般。“紫”是多年草,根紫花白,精巧可爱。“の”,现代日语译作“~のように”,是连用修饰格的格助词。]

にほへる・・・美しく照り映えている。「にほふ」は、嗅覚によるものでなく視覚にうったえる意味合いで使われることが多かった。「る」は完了の助動詞「り」の連体形で前出。[映照得美丽。“にほふ”,古语多指视觉上的感受,而非嗅觉。“る”同前,是完了助动词“り”的连体形。]

妹・・・男が女を親しんで呼ぶ語。主として妻・恋人を指す。⇔兄(せ)[男子对女子的昵称。通常指妻子或是恋人。对应于“兄(せ)”。]

憎くあらば・・・憎いと思うならば。「ば」は仮定条件を表す接続助詞。[如若觉得可恨的话„。“ば”,表假定条件的接续助词。]

人妻ゆゑに・・・人妻であるのに。「に」は逆接の接続助詞。[明明身为人妻„。“に”,表逆接的接续助词。] 恋ひめやも・・・恋い慕うことがあろうか。「めや」は上代に見受けられた連語で、推量の助動詞「む」の已然形+係助詞「や」から成っている。反語の用法で、「~であろうか、いや、そうではない」の意。「も」は、詠嘆。「やも」で、詠嘆を込めた反語の用法と解することもできる。[为何思慕呢?“めや”上代的词组,由推量助动词“む”的已然形加上系助词“や”构成。反问用法,相当于“~であろうか、いや、そうではない”。“も”表感叹。“やも”,可视为含感叹的反问用法。]

【現代語訳】

皇太子、大海人皇子がお答えになった御歌、

紫草が美しく照り映えるように美しいそなた、もしも、そなたを憎いと思うならば、もともと人妻なのに、どうして私が恋い慕ったりなどしようか。 【译文】

皇太子,即大海人皇子答额田王之歌。 妹艳比紫草 娇柔惹人怜 奈何他人妇 思慕何以言 【解説】

額田王は、初め大海人皇子に愛され子どもを生んだが、のち天智天皇と結婚をした。この二つの歌は、そういう状況の中で詠まれている。まず、額田王がかつての恋人であり、夫の弟でもある大海人皇子に呼びかけた。それに対して、大海人皇子があたりを憚らず大胆に恋する思いを歌い上げているのである。万葉人のおおらかさが表れた歌とみることもできるが、そうとばかりは言い切れないような気がする。

その当時、大海人皇子は四十代後半であり、額田王もどう少なめに数えても三十代の後半になっているの

で、「紫のにほへる妹」は、当時の年齢感覚からすれば誇張表現であろうし、これほどまで大胆に許されざる恋を歌い上げることも常識的ではない。したがって、これら二つの歌は遊猟のあとの酒宴などにおける遊戯的な贈答歌と見てもよいのではなかろうか。 【解说】

额田王最初受大海人皇子宠幸并产下子嗣,而后却与天智天皇结合。这便是这两首和歌的创作背景。作品中,先是额田王呼唤了旧情人,即丈夫弟弟的大海人皇子。对此,大海人皇子作答歌直抒爱意,毫不避嫌。从这一点上看,这是一首能体现万叶诗人开阔胸襟的作品,然而却也并非仅此而已。

实际上,当时的大海人皇子已年近半百,想必额田王也临近不惑之年,因此从年龄说来,“妹艳比紫草”确有夸张之嫌。此外,高歌此等背离世俗的大胆恋曲也决非聪明之举。故而,这两首和歌或许只是狩猎过后宴席间的赠答戏作吧。 【问题】

一 「紫野行き 標野行き」という表現にはどんな効果があるか?[“紫野行き 標野行き”这样的表达,有何效果?]

二 「人妻ゆゑに」ということばは、普通はどのように理解されているか?[“奈何他人妇”这句话,通常会被怎样解读?]

三 大海人皇子の答歌には、どのような和歌の技巧があるか?[大海人皇子的答歌中,运用了哪种和歌技法?]

ひんがし

かぎろい

つきかたぶ

東の 野に炎の 立つ見えて かへり見すれば 月傾きぬ (柿本人麻呂)

【注】

東の野・・・東方の野原。この野原は安騎の野で狩り場。[东方的原野。这里指叫安骑的围场。]

炎・・・夜明けに東の空にさしてくる太陽の光。日が昇る直前の、東方のほの赤い光。[黎明时分东边天空泛起的晨光。太阳即将升起时,东方微微发红的光。]

かへり見すれば・・・振り返ってみると。かえり見をすると。接続助詞「ば」は已然形にすると確定条件を表すが、原因・理由「~ので・~から」、偶然「~と・~たところ」、恒時「~といつも」などの用法がある。[一回首„。回头一看„。接续助词“ば”作已然形解释时表示既定条件,但也可表示原因理由 ,相当于“~ので、~から”;表示偶然,相当于“~と、~たところ”;或者表示恒定,相当于“~といつも”。] 月傾きぬ・・・月が西の端に沈んだ。「ぬ」は完了の助動詞で、「~た・~てしまう」などと訳す。[月落西山。“ぬ”是完了助动词,译作“~た、~てしまう”。]

柿本人麻呂・・・『万葉集』に多くの歌が載る代表的な歌人で、三十六歌仙の一人に数えられる。古来、歌聖として仰がれている。[《万叶集》中收录其作品较多的代表诗人,三十六歌仙之一。自古以来被尊为歌圣。]

【現代語訳】

東方の野に、朝の光がさすのが見えて、振り返ってみると、月は西に傾いていることだ。 【译文】 东边原野升朝日 西山月落回首时 【解説】

前方に明け方の広大な野原を眺望し、朝日が昇るのを目にしたかと思えば、後方に沈んで行く月を振り返って見るという雄大な情景をとらえている。わずか三十一音でこれだけの内容をまとめ上げたところに人麻呂の卓越した力量を感じ取ることができる。色彩的にも、東の薄く赤い空、西に沈む白い月が対比されている。また、野原には緑色もあろうし、大地には茶色もあろう。 【解说】

拂晓时分,放眼广阔原野,目睹旭日东升。回首身后,月落西山,景象宏伟绚丽。仅以三十一个音节便描绘出了如此繁多的内容,可见人麻吕才能之卓越。歌中有实体描写的东空微赤和西天白月相映衬,加以读者映像中的绿色原野和茶色大地,色彩丰富,尽显作品之宏大。

柿本朝臣人麻呂の歌一首

近江の海 夕波千鳥 汝が鳴けば 情もしのに いにしへ 思ほゆ (柿本人麻呂) 【注】

近江の海・・・滋賀県にある日本最大の湖である琵琶湖をいう。「海」は「ウミ」と訓読する。一句の内に母音があれば、字余りにならないのが『万葉集』の例である。[位于滋贺县的日本最大的湖,琵琶湖。“海”在此为训读“ウミ”。《万叶集》的作品中,一句和歌里出现母音,便不视为超音节。]

夕波千鳥・・・夕方の波にたわむれながら鳴く千鳥。人麻呂の造語。[傍晚湖面逐波鸣叫嬉戏的千鸟。] 心もしのに・・・心もしなえるように。心も悲しみにうちひしがれてたわむようになる。「しの」は、細くて小さい竹を意味する「篠」や、弾力があってしなやかにたわむという意味の「撓う」と語源を同じくしている。 [好似心被扭曲了一样。肝肠寸断。“しの”,指细小的竹子“篠(丛生矮竹)”,词源与表示有弹力能曲折的“撓う(弯曲)”相同。]

いにしへ・・・むかし。天智天皇によって都が奈良の飛鳥から、近江の大津に遷都(六六七年)された。その後、壬申の乱(六七二年)によって大津の都は荒廃したが、そのことを回想したものか。[古时候。指天智天皇从奈良的飞鸟迁都到近江的大津时期(六六七年)。之后,壬申之乱使得大津拜落,作者大概是回想起昔日的情景而顿生悲凉吧。]

おもほゆ・・・思われる。しのばれる。思うまいとしても、自然と思い出される。「思ふ」の未然形に自発の助

おうみ

うみ

ゆうなみちどり

こころ

動詞「ゆ」が接続したもの。[总觉得。总认为。即便不愿回忆,却还是会自然想起。由“思ふ”的未然形加上表示自发的助动词“ゆ”构成。]

【現代語訳】

柿本朝臣人麻呂歌一首

近江の海の、夕波の間を遊ぶ千鳥よ。おまえが鳴くと、心もしなえるように、いにしえのことがしのばれることだ。 【译文】

柿本朝臣人麻呂歌一首 向晚湖波 千鸟零落 鸣声唤往故 好不凄凉 【解説】

大津の都が滅びてから二十年ほど経た頃に、人麻呂が荒廃した旧都を訪れて詠んだ歌である。作者は、琵琶湖の湖畔に下り立って水辺を見つめている。折しも夕方の寂寥感が漂う頃に、何羽かの千鳥が波とたわむれながら鳴き声を上げている。その声が人麻呂には悲しげに響いたのであろう。悄然とした思いでそれを聞きながら、滅び去った大津の都に思いを馳せていたのだろう。

この歌は音のつながりの面でも美しい響きを持っている。「おうみのうみ ゆうなみちどり」と口ずさんでみると、「み」の音が三回繰り返されて快く響き、そのことが声調の上でも効果を発揮している。 【解说】

故都大津败落过了二十多年,人麻吕再访古都留下这首佳作。作者下到琵琶湖畔,立足凝望湖面。夜幕降临,寂寥备至,零落几只鸻鸟,逐波嬉戏。鸻的叫声,此时更增了人麻吕内心的悲凉。不经意间,对昔日辉煌故都的留恋,一发不可遏制地游走开来„

这首和歌音韵和美。如“おうみのうみ ゆうなみちどり”,吟诵时“ み”音三次反复,声调悠扬。

春日すら 田に立ち疲る 君はかなしも 若草の 妻なき君し 田に立ち疲る (柿本人麻呂) 【注】

春日すら・・・のどかな春の日でさえ。「すら」は類推の副助詞で、軽いものを例に上げて重いものを類推させる意を表す。[即便是和暖的春日。“すら”,表示类推的副助词,意为列举微小的事例从而推导出重大的。] 田に立ち疲る・・・田に立って働き疲れている。[立于田间,劳累耕作。]

はるひ

つか

きみ

わかくさ

つま

かなしも・・・気の毒だなあ。気の毒なことよ。「も」は詠嘆の終助詞で、「~だなあ・~なことよ」と訳す。[真可怜!太可怜了!“も”,表感叹的终助词,现代日语译作“~だなあ、~なことよ”。]

若草の・・・若草のようにみずみずしく美しいことからきた語で、「妻」に掛かる枕詞。[似若草一般水灵可爱,此处是与“妻”相呼应的枕词。]

妻なき君し・・・妻のいないあなたはほんとに。「し」は強意の副助詞。[没有妻子的你啊,真是„。“し”,副助词,用来加强语气。]

【現代語訳】

のどかな春に日でさえ、田に立って働き疲れている。あなたはほんとに気の毒だなあ。妻のいないあなたは、田に立って働き疲れているね。 【译文】 春日和暖本庆幸 劳作田间无人怜 【解説】

五・七・七・五・七・七の六句からなる旋頭歌で、田植えの時などに歌われた労働歌の一つである。まだ妻を持つことができない男に対して、軽いからかいの気持ちで明るく歌いかけたものでだろうか。あるいは、この男に対して好意を持つ女が同情の気持ちを持って呼びかけたものなのかも知れない。いずれにしても野趣あふれるほのぼのとした歌である。 【解说】

这是一首音调为五、七、七、五、七、七的六句旋头歌,是在田地间耕作时吟唱的劳动诗歌。和歌中微带对尚没能迎娶妻室的男子的讥讽。或者可以说,作者在借此和歌唤起对男子有意之人的爱怜也未尝不可。总而言之,这是一首充满田园情趣的隐约之作。 【问题】

一 「東の」の歌は、与謝蕪村の「菜の花や月は東に日は西に」という俳句と趣を同じくしているが、両者の異同について述べよ。[“東の”这首和歌,通常被认为和后世的与谢芜村的俳句“菜の花や月は東に日は西に”意趣相同,请你阐述二者的异同。]

二 「夕波千鳥」という作者の造語はどんな効果を上げているか?[“夕波千鳥”是作者创造出来的词语,它在和歌中起到了什么作用?]

大宰帥大伴卿、酒を讃むる歌十三首(うち二首)

しるし

だざいのそちおおともきょう

さけ

うたじゅうさんしゅ

にしゅ

ひとつき

にご

さけ

験なき ものを思はずは 一杯の 濁れる酒を 飲むべくあるらし (大伴旅人)

【注】

大宰帥大伴卿・・・大伴旅人。中国の詩文に通じた知識人で、老荘的傾向のもの、夢幻的・浪漫的なものに加えて酒にまつわる作が多い。大宰府の長官時代に筑前守・山上憶良と親交があった。[大伴旅人。精通中国诗词的文人,喜老庄,多有梦幻浪漫的赞酒之作。大宰府长官时代,与筑前守山上忆良私交甚好。] 酒を讃むる歌・・・酒を讃える歌。「讃酒歌」は中国の詩文の影響を受けたものか。[赞酒歌。想必受了中国诗文的影响。]

験なき・・・ききめがない。かいのない。「験」は効き目・効果・効能の意。[没效果。没价值。“験”指效力、效果、功能。]

ものを思はずは・・・物思いをせずに。「ずは」は「ずして」と同じ意味を表す上代の特殊な語法で「~ないで・~なくて」の意を表す。「は」は係助詞で強意。[无忧无虑。“ずは”与“ずして”同义,上代特殊的语法,相当于“~ないで、~なくて”。“ は”,系助词,加强语气。]

濁れる酒・・・濁酒(にごりざけ)。糟をこしていない酒で清酒に対するもの。[浊酒。与清酒相对,指未去掉酒糟的酒。]

飲むべくあるらし・・・飲むのがよいだろう。飲んだ方がましだろう。「べく」は適当・当然の助動詞「べし」の連用形。[还是喝为好吧。喝了更好吧。“べく”是助动词“べし”的连用形,表示恰当、应该。]

【現代語訳】

大宰帥大伴卿の酒を讃える歌十三首(そのうち二首)

何のかいもない物思いなどしないで、一杯の濁った酒を飲んだ方がましだろう。 【译文】

大宰帅大伴卿赞酒歌十三首(其二) 世上无聊事 忧心亦惘然 一杯浊酒在 一醉一陶然 【解説】

この歌では「験なきもの思い」と「一杯の濁れる酒」が対比されているが、一杯の酒で陶然として思いに至ることはないだろう。「酒を讃むる歌」十三首の連作には、表面的には享楽主義的な感が漂うが、作者は大宰府に伴った妻を失ったばかりで悲しみのどん底にあったので、本当のところは酒を味わったり楽しんだりするということではなく、酔うことによってその悲しみを紛らわそうとしたところにあるのだろう。 【解说】

在这首和歌中,作者将虽然对比了“験なきもの思い”与“一杯の濁れる酒”,凸显了一醉解千愁为上策。然而,杯酒便陶然,实为自欺欺人。赞酒歌十三首连作,表面虽都浮现着享乐主义的感觉,但其实却隐含了作者失去在大宰府朝夕共处的爱妻之痛。看似饮酒作乐,却是借酒浇愁。

あな醜 賢しらをすと 酒飲まぬ 人をよく見れば 猿にかも似る (大伴旅人) 【注】

あな醜・・・ああ醜いことだ。まあ、みっともないことよ。「醜」は形容詞「醜し」の語幹で、「あな・あら」を伴って感動を表現する語法。[啊,真难看!啊,真不像样!“醜”是形容词“醜し”的词干,与“あな、あら”连用表示感叹。]

賢しらをす・・・利口ぶることをする。賢そうに振る舞う。[卖弄聪明。故作聪明。]

猿にかも似る・・・猿に何とまあ似ていることよ。「かも」は詠嘆の終助詞。[真像猴子!“かも”,终助词,表感叹。]

【現代語訳】

ああ醜いことだ。利口ぶって酒を飲まない人を見ると、何とまあ猿に似ていることよ。 【译文】 故作贤良不饮酒 丑态不堪似猿猴 【解説】

作者の旅人は、酒も飲まずに分別ありげに振る舞うような人物を「猿にかも似る」と嘲笑している。おそらく周辺にいた人物を意識してのことと思われるが、真面目ではあっても気が小さく、失敗を恐れて何もしない小人物の態度を「賢しらをす」といっているのだろう。こうした人物はいつの世にも、どの世界にも必ず存在するもので、とくに非難するにはあたらないはずだ。にもかかわらず、そう表現したのは、旅人が忌避する具体的な人物で、酒を飲まない人物が周囲にいたのかも知れない。あるいは、自分自身にもある小心さを他人の例に裏返して、自嘲的に述べたのかも知れない。 【解说】

作者旅人,嘲笑不饮酒而故作特别的人“真像猴子!”或许是因为身边确有其人,故而揶揄虽认真却心胸狭隘畏首畏尾的这类人“故作聪明”吧。现实生活中,这样的人随处可见,作歌责难也无济于事。但作者却还是讽刺了一把,想必确是身边有此类不饮酒的做作之人,而作者却又不得不回避与其直接交锋吧。又或者是,作者是在借他人自嘲内心胆怯的一面。

みにく

さか

さけの

ひと

さる

世の中は 空しきものと 知る時し いよよますます 悲しかりけり (大伴旅人) 【注】

空しきものと・・・空しいものであると。無常なものであると。[如若是虚无之物的话。如果是无常之物的话。] 知る時し・・・实感したときに。思い知った時に。「し」は強意の副助詞。[真实感觉到的时候。体会到的时候。“し“,副助词,加强语气。]

いよよますます・・・いよいよますます。ますますいっそう。「いよよ」も「ますます」も程度を表す副詞で、類語を重ねて強調している。[越发。更加。“いよいよ”和“ますます”均为表示程度的副词,近义词重叠使用起强调作用。]

悲しかりけり・・・悲しいことよ。悲しかったことだ。「けり」は、過去の助動詞だが詠嘆の用法。[好悲凉!好悲伤!“けり”,过去助动词,此处表感叹。]

【現代語訳】

この世の中は仮の世で、無常なものであると、思い知った時は、ますますいっそう悲しかったことだ。 【译文】 世事无常早知晓 只是感时尤悲凉 【解説】

大宰帥として着任してまもなく同伴した妻を失い悲嘆に暮れている頃の作である。この世を「空しきもの」と捉えたのは、仏教思想によるものだが、おそらく旅人には、聖徳太子のことばとされる「世間(せけん)虚仮(こけ)唯仏真(ゆいぶつしん)」、すなわち、この世にある物事はすべて仮のものであり、仏の教えだけが真实である、というような意識があったのだろう。ただし、この世を観念的に無常なものと捉えているのではない。实感として初めて無常を思い知ったのだと旅人は告白しているのである。 【解说】

作者赴任大宰帅之后不久便痛失常伴左右的爱妻,悲伤不已而得此佳作。将人世看做“虚无之物”源自于佛教思想,此处似乎更是受了圣德太子“世間(せけん)虚仮(こけ)唯仏真(ゆいぶつしん)”,即:世事无常,唯佛教真的影响。不同的是,旅人并非在观念上强调人世无常,而是切身体会过后的实情实感。 【问题】

一 「酒を讃むる歌」を鑑賞する場合、妻の死を考慮する場合と考慮しない場合でどう異なるか?[鉴赏《赞酒歌》时,是否考虑其妻子的故去,将有何异同?]

二 「世の中は」の歌の「けり」は過去の助動詞であるが、この場合、どのような意味合いで用いているか?

よなかむなしときかな

[“世の中は”这一首和歌中出现的“けり”原本是过去助动词,但在此处应当作何解释?]

山上憶良臣、宴を罷る歌一首

おくら

やまのうえのおくらのおみ

えん

まか

いま

まか

こな

はは

憶良らは 今は罷らむ 子泣くらむ それその母も 我を待つらむぞ (山上憶良)

【注】

憶良らは・・・この憶良めは。わたし憶良などは。「ら」は複数を表すものではなく、自分を指す名詞・代名詞について、謙譲の意味を添える。「~め」「~など」と訳す。[我忆良小儿。我忆良小子。“ら”不是表示复数的,而是接于指代自己的名词或代词之后,表谦逊。现代日语译作“~め、~など”。]

今は・・・もう。もうすぐ。この「今」は、副詞でごく近い未来を表す。[马上就要。很快就要。这里的“今”是副词,表示即将到来的时刻。]

罷らむ・・・退出しよう。下がりましょう。「罷る」は、謙譲語で、貴人のもとから退出する意。(『古事記』二・⑩に前出)。「む」は意志の助動詞。[退出吧。下去吧。“罷る”是谦逊语,表示从尊贵的人面前退出。(同前《古事记》二文中注释⑩。]

子泣くらむ・・・今ごろ子どもが泣いているだろう。「らむ」は現在推量の助動詞で、眼前にない事柄を推量する用法。「今ごろ~ているだろう」、「恐らく~ているだろう」と訳す。[而今孩子正在啼哭吧。“らむ”对现在进行推量的助动词,用于对不在眼前的事物进行推测。相当于“今ごろ~ているだろう、“恐らく~ているだろう”。]

それその母も・・・その子の母親も。「そのかの母」という読み方もある。[那孩子的母亲也„。也可读作“そのかの母”。]

我を待つらむぞ・・・今ごろ私を待っているだろう。「子なくらむ」の「らむ」と同じ。[而今也正等着我吧。“らむ”用法见“子なくらむ”。]

【現代語訳】

山上憶良の、宴会を退出するときの和歌一首

この憶良めは、もう退出いたしましょう。今ごろ子どもが泣いているでしょうし、その子の母親も、私を待っているでしょうから。 【译文】

臣子山上忆良罢宴歌一首 忆良小子行将退 泣儿孤妻盼我归 【解説】

題詞にある通り、宴席から下がるときの歌である。宴を辞すにあたって、その理由として「家で泣いてい

るであろう子ども」や「自分の帰りを待つ妻」のことを取りあげたり、自分の妻を「わが子の母」と言ったりするのは、人々の笑いを誘うところにその目的があったのだろう。だが、この歌から感じられることは、子煩悩で妻を愛する、平凡で家庭的な人間の姿である。この歌を詠んだ時、憶良はすでに高齢になっているので、泣く子がいるはずもないという事实はあるが、それよりもこの歌からは、憶良という人間の心優しさをくみ取るべきであろう。

【解说】

题词已提及,此乃描写中途退出宴席的作品。告辞的理由是,“家有哭泣小儿”和“守候自己的妻子”,而将自己的内人说成是“孩儿他娘”,大概是为了给众人逗乐吧。然而,这丝毫不影响读者去体会,男人挂念妻儿、眷恋家庭的平凡真爱。事实上创作这首和歌时,作者忆良已是高龄,并无幼子,由此反而更能体现出忆良温情人性的一面。

しろがね

くがね

たま

なに

まさ

たから

銀も 金も玉も 何せむに 優れる宝 子に及かめやも (山上憶良)

【注】

銀も金も玉も・・・金銀や宝石類のこと。[金银珠宝。]

何せむに・・・何になろうか、何の役にも立たない。反語を表す慣用句。[有什么用?什么用也没有。表反问的惯用句。]

優れる宝・・・優れた宝。ここでは、「どんなに優れた宝でも」という響きで使われている。[珍宝。此处,加强“什么样的珍宝也„”的语气。]

子に及かめやも・・・子どもに及ぶものがあろうか、いやない。「めやも」は反語を表す(『万葉集』大海人皇子の歌の【注】参照)。[哪儿能不得上孩子?“めやも”表反问。(同前《万叶集》大海人皇子和歌的注释。)] 山上憶良・・・奈良時代前期の歌人で、渡唐の経験を持ち漢籍への理解が深い。仏教にも傾倒し、生・老・病・死・貧などの人間苦の問題に深い関心を持っていた。[奈良前期的诗人,访问过唐朝且精通汉学。推崇佛教思想,对生老病死和贫穷等人间疾苦甚为关心。]

【現代語訳】

宝と言われる、銀も金も玉も、何になろうか、何の役にも立たない。どんなに優れた宝でも、子どもに及ぶものがあろうか。 【译文】 金银白玉有何为 不及爱儿身价高 【解説】

金銀や珠玉などの世間でいう宝と、子どもという親の目からする宝を対比するのは、観念的な感じがぬぐえないが、子どもの尊さを強調する点では効果を上げている。この歌の趣旨は、巻五・九〇四の「世の人の 尊び願う 七種の 宝もわれは 何せむに わが世の中の 生まれ出でたる 白玉の わが子古日は ・・・(世の中の人が尊んで手に入れたいと願う七種の宝も、私には何になろうか。私たちの間に生まれ出た、真珠のようなわが子古日は・・・)」と共通している。子を思う親の心情が強く感じられる一首である。二句と結句で反語表現を繰り返して、子どもへの愛情の深さを高めていく表現の仕方には力強いものが感じられる。 【解说】

将金银珠宝等世间珍宝与父母眼中的宝贝儿女相对比,确有偏感性之嫌,然而这一比较却在强调孩子的宝贵一层面上,起到了很好的效果。这首和歌的主旨,与第五卷九零四的“世の人の 尊び願う 七種の 宝もわれは 何せむに わが世の中の 生まれ出でたる 白玉の わが子古日は ・・・(浮世七宝,不入我眼,唯有与汝真爱之结晶,价比天高”相通。表达了父亲思儿心切。以两句和歌结句,且不断反问,突出表达了对孩子的真切爱怜。

貧窮問答の歌一首、あはせて短歌 (甲)

かぜ

ひんきゅうもんどう

うたいっしゅ

たんか

風まじり 雨降る夜の 雨まじり 雪降る夜は すべもなく 寒くしあれば 堅塩を 取りつづしろひ 糟湯酒 うちすすろひて しはぶかひ 鼻びしびしに しかとあらぬ 髭かきなでて 我をおきて 人はあらじと 誇ろへど 寒くしあれば 麻ぶすま 引きかがふり 布肩衣 ありのことごと

きそえ

さむ

われ

まず

ひとな

ちちはは

わた

うえさむ

めこ

とき

ほこ

さむ

あさ

ぬのかたぎぬ

はな

ひげ

あれ

あめふよゆきわさむかたしおい

かすゆさけひと

着襲へども 寒き夜すらを 我よりも 貧しき人の 父母は 飢ゑ寒からむ 妻子どもは 乞ひて泣くらむ この時は いかにしつつか 汝が世は渡る 【注】

貧窮問答の歌・・・貧窮にあえぐ者が問答するという形式で作った歌。「問」は自分の貧窮を、「答」は民衆の貧窮を述べている。[苦于生计之人以问答形式吟诵的和歌。“問”自己的贫穷,“答”民众之疾苦。] 風まじり雨降る夜の・・・風にまじって雨の降る夜で。「の」は格助詞・同格の用法で、「雪降る夜」にかかる。すなわち、「雨の降る夜で、(さらに)雪の降る夜」ということになる。[风雨交加的夜晚。“の”,格助词,表同格,与“雪降る夜”相关联。]

すべもなく・・・どうしようもなく。手段・方法もなく。「すべ」は「術」と書き、手段・方法のこと。[无计可施。无以应对。“すべ”写作“術”,意为手段、方法。]

寒くしあれば・・・寒いので。「し」は強意の副助詞、「ば」は順接・確定条件の接続助詞で、原因・理由を表す。[因为寒冷。“し”,副助词,加强语气,“ば”,表顺接、确定条件的接续助词,说明原因、理由。] 堅塩・・・精製していない固形の塩。[粗盐。]

取りつづしろひ・・・手にとって少しずつ食べ。「つづしろふ」は、少しずつ食べるという意味の「つづしる」に、反復・継続の助動詞「ふ」の連用形「ひ」が接続したもの。[拿在手上一点一点地吃。“つづしろふ”,由表示一点一点吃的“つづしる”,加上表示反复连续的助动词“ふ”的连用形“ひ”构成。]

糟湯酒・・・酒を造った後に残る酒粕(さけかす)を湯で溶かした飲み物。貧乏のあまり本物の酒が飲めないのである。[将酿酒剩下的酒糟兑开水溶解的饮料。因太过贫穷而喝不上真正的酒。]

うちすすろひて・・・少しずつ、すすりすすりして。「うち」は接頭語で、ちょっとの意。「ひ」は前出の反復・継続の助動詞。[一点一点地,一小口一小口地啜饮。“うち”是前缀,意为稍微„。“ひ”同前,助动词,表反复、连续。]

しはぶかひ・・・しきりに咳をして。「ひ」は前出の反復・継続の助動詞。[不停地咳嗽。“ひ”同前,助动词,表反复、连续。]

鼻びしびしに・・・鼻をぐすぐすさせて。「びしびし」は擬声語で鼻水をすすり上げるときの音。[弄得鼻子呼哧呼哧作响。“びしびし”,拟声词,形容吸鼻涕的声音。]

しかとあらぬ・・・それほどにはない。あまりない。部分否定の用法。[没到那个份上。不是很„。部分否定。] 我をおきて・・・私をさしおいて。私以外に。私のほかに。[除我之外。我以外。我之外。]

人はあらじ・・・すぐれた人はいないだろう。「人」はここでは、しかるべき人・りっぱな人・すぐれた人材をいう。[大概没有优秀的人才吧。“人”,此处意为适当的人、出色的人、优秀的人才。]

誇ろへど・・・しきりに自慢するが。自慢し続けるが。「ふ」は前出の反復・継続の助動詞。[虽频频夸耀。虽一直骄傲。“ふ”同前,助动词,表反复、连续。]

麻ぶすま・・・麻の夜着。麻で作った粗末な寝具。[麻制睡衣。麻制的粗糙睡衣。]

引きかがふり・・・引きかぶり。「かがふる(被る)」はかぶる意。[拉过来盖上。“かがふる(被る)”,盖。] 布肩衣・・・布で作った袖なしの衣服。下層階級が着た粗末なもの。[布做的无袖衫。下层阶级穿的粗糙衣服。] ありのことごと・・・あるだけ全部。「ことごと」は「ことごとく」の意で、ここでは名詞。[全部。“ことごと”即“ことごとく”,此处为名词。]

着襲へども・・・重ねて着るけれども。「襲ふ」は、重ね着する意。「ども」は逆接確定条件を表す接続助詞。「~が・~けれども」と訳す。[虽套着穿着„。“襲ふ”是层叠起来穿。“ども”,接续助词,表逆接确定条件,译作“~が、~けれども”。]

寒き夜すらを・・・それでも寒い夜であるよ。「を」は詠嘆の終助詞。[既便如此仍是寒夜啊!“を”,终助词,表感叹。]

飢ゑ寒からむ・・・腹をすかせて寒い思いをしているだろう。「む」は推量の助動詞で「~だろう」と訳す。[寒冷大概是饥饿所致吧。“む”,助动词,表推量,译作“~だろう”。]

妻子ども・・・妻や子どもたち。「ども」は複数を表す接尾語。[妻儿。“ども”,后缀, 表复数。]

乞ひて泣くらむ・・・食べ物を欲しがって泣いているであろう。「らむ」は現在推量の助動詞で「今ごろ~帝鏤だろう」と訳す。[大概是因为想要食物而哭泣吧。“らむ”,助动词,对现在进行推量,译作“今ごろ~帝鏤だろう”。]

いかにしつつか・・・どのようにして~か。「つつ」は継続を表す接続助詞で「か」は疑問を表す係助詞。[如

何„呢?“つつ”,接续助词,表连续。“か”,系助词,表疑问。]

汝が世は渡る・・・お前は暮らしている(のか)。「汝」は二人称の人称代名詞。[你生活着吗?“汝”,第二人称代词。]

【現代語訳】

貧窮問答の歌一首、あわせて短歌一首

風にまじって雨の降る夜で、さらに雨まじりの雪の降る夜は、どうしようもなく寒いので、固形の塩を少しずつかいてはなめ、糟湯酒を少しずつすすりすすりして、咳をしては鼻をぐすぐす鳴らし、あまりないひげをなでては、「自分をさしおいてすぐれた人物はいないだろう」としきりに自慢はしてみるが、とにかく寒いので、麻で作った夜着を引きかぶり、布で作った袖なしを、あるだけ全部を重ねて着るが、それでも寒い夜なのに、私よりも貧しい人の両親は、腹をすかせて寒い思いをしているだろう。妻や子どもたちは、食べ物を欲しがって泣いているであろう。このような時は、どのようにしてお前さんは暮らしているのかね。 【译文】

贫穷问答歌一首,附短歌

风雨交加之夜,飞雪横生。舐粗盐,啜浊酒,欲战严寒。疏须自拈,“这世间贤才,舍我取谁?”然,桀骜不抵寒意,冷气冲喉,寒嗽流涕,且粗麻睡衣,褴褛衣衫,齐裹身上仍不见暖。想来穷困胜我者,双亲必饥寒交迫,妻儿啼哭,只为充饥之物,尔何以为生啊? 【解説】

長歌での問答形式はきわめて珍しい。問答形式は中国の詩文の影響であろう。漢籍に詳しい山上憶良はその形式に興味を持って和歌の中に取り入れたのであろう。長歌は、基本的には五・七音の定型で表現するものなのだが、憶良は、四音・六音あるいは八音の破調も取り入れている。その理由は、貧者の置かれた厳しい状況を表現するために、歌語にはない独特の語彙や俗語を使わざるを得なかったからであろう。 憶良は筑前守という地方の要職についていたのだから、自分自身の生活がこの歌のように緊迫していたわけではないだろう。だが、彼は庶民の置かれていた生活の实態を直視するにつれて、社会的な関心をふくらませ、人間に対する優しい気持ちを持ってこの長歌を作ったのである。この「問い」の部分には、清貧を楽しむ儒者的な様子がうかがえて、ここにも中国的なものを感じ取ることができる。 【解说】

问答形式的长歌并不多见。山上忆良熟读汉籍,大概是受到了中国诗文的影响,故而将这一形式引入自己的和歌创作。长歌通常以五、七音的固定形式表现,然而作者却运用了四、六音和八音破格。究其原因,想必是为了表现贫困者所处的严峻形势,才不得不使用这些常用词中并不涵括的独特词汇和俗语的吧。

忆良在筑前守任要职,或许歌中的紧迫,也可看作是当时诗人自身处境的写照。最为关键的是,作者是直视庶民的实际生活,关心社会,体恤民情才能得此佳作的。从“问”的部分,也可窥见忆人两袖清风的儒者姿态,

这里也蕴含了中国风的创作。 (乙)

あめつち

ひろ

ひつき

あか

天地は 広しといへど 我がためは 狭くやなりぬる 日月は 明しといへど 我がためは

あれ

ぬのかたぎぬ

みる

かた

いお

照りやたまはぬ 人みなか 我のみやしかる わくらばに 人とはあるを 人なみに 我もなれるを

わた

綿もなき 布肩衣の 海松のごと わわけさがれる かかふのみ 肩に打ち掛け 伏せ廬の

いお

ひたつち

わらと

ちちはは

まくら

めこす

あと

かく

ほけふ

くも

いいかしごと

曲げ廬の内に 直土 藁解き敷きて 父母は 枕のかたに 妻子どもは 足のかたに 囲みゐて

うれえさまよい

どり

憂へ吟ひ かまどには 火気吹き立てず こしきには 蜘蛛の巣かきて 飯炊く ことも忘れて

いお

みじか

もの

はしき

いえ

ねやど

きた

ぬえ鳥の のどよひをるに いとのきて 短き物を 端切ると 言へるが如く しもと取る

さとおさ

里長が声は 寝屋処まで 来立ち呼ばひぬ かくばかり すべなきものか 世の中の道

【注】

天下は広しといへど・・・天地は広いというけれど。「ど」は逆接の接続助詞で、「~けれども・~が」の意。[天地虽大。“ど”,接续助词,表逆接,意为“~けれども、~が”。]

我がためは・・・私のためには。自分のためには。「が」は連体修飾格の格助詞で「の」の意。[为了我„。为了自己„。“が”,连体修饰的格助词,相当于“の”。]

狭くやなりぬる・・・狭くなってしまったのか。「や」は疑問の係助詞で、完了の助動詞「ぬ」の連体形の「ぬる」がその結び。[变狭窄了吗?“や”,系助词,表疑问,完了助动词“ぬ”的连体形“ぬる”是其结语。] 照りや給はぬ・・・照ってはくださらないのか。「や」は疑問の係助詞で、打消の助動詞「ず」の連体形の「ぬ」がその結び。[不照耀了吗?“や”,系助词,表疑问,否定助动词“ず”的连体形“ぬ”是其结语。] 我のみやしかる・・・私だけがそうなのか。「や」は疑問の係助詞で、動詞「しかり(そのようである)」の連体形の「しかる」がその結び。[只有我那样吗?“や”,系助词,表疑问,动词“しかり(そのようである)”的连体形“しかる”是其结语。]

わくらばに・・・たまたま。まれな機会を得て。幸運のニュアンスを含む。[偶然。碰巧。含幸运之意。] 人とはあるを・・・人間として生まれてきたのに。「を」は逆接の接続助詞で「~のに」と訳す。詠嘆のニュアンスを含む。[虽生为人,却 „。“を”,接续助词,表逆接,译作“~のに”。含感叹之意。]

我もなれるを・・・私も耕作しているのに。「なる」は作るの意。「を」は前出のものと同じ。[我明明也在耕作„。“なる”,相当于“作る”。“を”,同前。]

海松のごと・・・海松のように。「海松」は浅い海の岩石に着生する緑色の海藻。「ごと」は「如し」の語幹で連用修飾語を作る用法。[如黑珊瑚一般。“海松”,生长在海底岩石上的绿色海藻。] わわけさがれる・・・ぼろぼろに破れてぶら下がった。[破烂不堪地耷拉着。]

かかふのみ・・・ぼろきればかり。「かかふ」は「襤褸」と書き「ぼろきれ・ぼろ布」の意。[净是破布。“かかふ”写作“襤褸”,意为破布。]

伏せ廬の・・・つぶれたような小屋。「廬」は粗末な小屋。[像塌了的小屋一样。“廬”,简陋的小房子。] 曲げ廬の・・・ゆがんで倒れかけた小屋。[斜塌着的小房子。]

直土に・・・じかに地面に。[直接接地。]

藁解き敷きて・・・わらをばらばらに敷いて。「藁」は稲や麦などの茎を乾かしたもので俵やむしろなどにする。[散乱铺着稻草(或麦秆)。“藁”,干的稻草或麦秆,用来编袋子或者席子。]

囲みゐて・・・囲んですわって。「ゐる」は上一段動詞で「坐る」が原義。[围坐。“ゐる”是上一段动词,原意相当于“坐る”。]

憂へ吟ひ・・・嘆きうめいて。「吟」には「うめく・うたう・なく・さけぶ」などの意があるが、声に出すことがその前提である。[哀叹呻吟。“吟”有呻吟、吟诵、哭泣、叫喊等意思,其前提是得发出声音。] かまどには火気吹き立てず・・・煮炊きをするかまどには火の気を立てない。「かまど」は「釜処」の意で食べ物を煮炊きするところ。「吹き立つ」はかまどの薪を火吹き竹で吹いて火力を強めることをいう。[烧火的灶里没点火。“かまど”,相当于“釜処”,做饭的地方。“吹き立つ”,意思是用竹筒吹气使得灶火更加旺盛。] こしき・・・食べ物をふかす道具。当時は素焼きの土器を用いた。[蒸食物的炊具。当时素烧的陶器。] 蜘蛛の巣かきて・・・蜘蛛の巣がかかって。[挂着蜘蛛丝。]

ぬえ鳥の・・・ぬえ鳥のように。「ぬえ鳥」はトラツグミの別名だが、「ぬえ鳥」を「のどよひ」にかかる枕詞とし、語調を整えるだけで解釈しないという考え方もある。[像虎斑地鸠一样。“ぬえ鳥”是日语中画眉的别名,此处充当“のどよひ”的枕词,可视为调整语调用的。]

のどよひをるに・・・細いうめき声を立てているのに。「のどよふ」は細々と力のない声を出す・悲しげな声で鳴く意。「に」は逆接の接続助詞で「~のに」と訳す。[明明低声呻吟着„。“のどよふ”,细微无力的声音、悲凉的叫声。]

いとのきて・・・特別に。とりわけ。ことのほか。[特别地。分外。格外。]

短きものを端切る・・・ただでさえ短いものをさらにその端を切る。当時のことわざ。[原本就很短的东西,再切掉一端。当时的谚语。]

言へるが如く・・・世間で言われているように。[如世俗之说„。] しもと・・・むち。罪人を打つのに使う。[鞭子。打罪人用的。]

里長が声・・・里の長の声。「が」は連体修飾格の格助詞で「の」と訳す。[村长的声音。“が”,连体修饰的格助词,译作“の”。]

寝屋戸まで・・・寝室の入り口まで。[到卧室门口。]

来立ち呼ばひぬ・・・やって来て立って何度も呼び立てている。「ひ」は継続・反復の助動詞で前出。[到来之后,站着大声叫喊了好多遍。]

かくばかり・・・これほどまでに。「かく」は副詞で、上述の内容を受ける。「このように」の意。「ばかり」は程度を表す副助詞で「~ぐらい・~ほど」の意。[到这般„。“かく”是副词、承接上述内容。意为“このように”。“ばかり”是程度副词,相当于“~ぐらい、~ほど”。]

すべなきものか・・・どうしようもないものであろうか。何ともしようのないものか。[就无计可施了吗?什么办法也没有了吗?]

世の中の道・・・世の中の道というものは。前の「すべなきものか」と倒置され、強調されている。[所谓人世之道。前面的“すべなきものか”的倒装、强调用法。]

【現代語訳】

天地は広いというけれど、私のためには狭くなってしまったのか。太陽や月は明るく照るというけれど、私のためには照ってはくださらないのか。人はみんなそうなのか、私だけがそうなのか。たまたま幸運にも人間として生まれてきたのに、世間の人並みに私も耕作しているのになあ。綿も入っていない布の袖なしの、海松のようにぼろぼろに破れてぶら下がった、ぼろきればかりを肩にかけ、潰れたような小屋で、ゆがんで倒れかけた小屋の中に、じかに地面にわらをばらばらに敷いて、父や母は枕の方に、妻や子は足の方に、私を囲んで坐っては、嘆きうめいている。煮炊きをするかまどには、火の気を立てず、こしきには蜘蛛の巣が掛かって、飯を炊くことも忘れてしまって、うめき声を立てているのに、特別に「ただでさえ短いものをさらにその端を切る」ということわざの言うように、むちを持った里長の声が、寝屋の入り口までやってきて、立って何度も呼び立てている。これほどまでにどうしようもないものか、世の中の道というものは・・・。 【译文】

天地之大,竟无我立锥之地?日月虽明,独不照我之暗夜?世人皆如此,还是独我一人?生之为人,本倍感庆幸,辛勤与人同耕。岂料衣衫含棉是妄想,海藻破布挂削肩。茅庐斜塌,席地草垫。枕边叹父母,妻儿泣足旁。灶无烟火,蛛丝猖獗,久疏忘炊事,低吟叹饥寒。村长执笞到门口,逼税咆哮,所谓祸不单行。人世之道,真有无计可施之理? 【解説】

当時の朝廷も貧困の实態に目を向けたので、各地の国司や郡司に対して貧窮飢寒の救済を通達し、それを達成した者には善政を行った者としての報奨が成されることもあった。だが、ほとんどの場合、貧窮飢寒の救済は国司の責任とされていたので、筑前国の国司であった憶良もまた、自らの立場においてその問題を解決する義務があった。だが、その下に位置する郡司や、さらに下の里長などにはその意識は薄く、むしろ、郡内・里内の統制や徴税に血道を上げるという有様であった。終末部分に、税を納めない貧者のところにむちを持ってやってきた里長が大声を上げて催促する場面があるが、これがその实態であったのだろう。そして、憶良が下した結論は、「かくばかりすべなきもの」が現实の世の中であるということだった。どこからも誰からも救済されないものが「貧窮」だというのである。 【解说】

当时,朝廷也意识到了贫困事态,向各地国司、郡司下达了济贫救寒的命令,告明行仁政者将论功行赏。然而大部分人将此看做是国司的责任,因而曾经任筑前国国司的忆良也肩负起了这一使命。然而,下属的郡司以及再往下的村长等人却不具备强烈的救贫意识,反而在自己管辖区域内横征暴敛。作品的结尾部分,描绘了村长拿着鞭子下到交不起税的贫民家里大喊大叫的场景,这也许就是当时社会现状的真实写照。对此忆良长叹道“かくばかりすべなきもの”,才是现实的人生。换言之,“无助”即“贫穷”,“贫穷”亦“无助”。

(短歌)

世の中を 憂しとやさしと 思へども 飛び立ちかねつ 鳥にしあらねば (山上憶良)

憂しとやさしと思へども・・・つらいと思い、恥ずかしいと思うが。「憂し」はつらい、「やさし」は恥ずかしいの意。「憂し」と「やさし」が並列で「思へども」に掛かっている。[虽然觉得痛苦、可耻,但是„。“憂し”,痛苦,“やさし”,羞耻。二者并列,呼应“思へども”。]

飛び立ちかねつ・・・飛び立つことができない。「かぬ」は動詞に接続して不可能・困難などの意を表す。「~できない・~のが難しい」と訳す。[不能飞走。“かぬ”,接于动词后面,表示某事不可能、困难等。] 鳥にしあらねば・・・鳥ではないので。「し」は強意の副助詞。[因为不是鸟。“し”,副助词,加强语气。]

【現代語訳】

この世の中をつらいと思い、恥ずかしいと思うけれど、飛び立ってどこかへ行くこともできないことよ。鳥ではないので・・・ 【译文】

(短歌 ) 浮世无非耻与怨 奈何不能鸟冲天 【解説】

この短歌は、前の長歌の反歌である。ここには、現实社会の苦しみにあえぎながらも、それに耐えて生きていかなければならないことを悟った究極の心がとらえられている。憶良は貧窮を救済しなければならない国司の立場にありながら、それができないことへの無力感をしみじみと感じたのである。そのどうすることもできない苦しい思いを、四句と五句を倒置させることによって、強調し慨嘆的に表現したのである。 【解说】

这首短歌,是上一首长歌的尾歌。流露出了一种苦于现世却又不得不苟活的痛苦领悟。忆良是一个坚信必须济贫救困的国司,但却无能为力,因此痛感自己的无力。这首和歌运用了第四、五句倒装的表现手法,强调了作者无计可施的痛楚。 【问题】

一 この歌は問答形式になっているが、「問い」の人と、「答え」の人との間にどのような差異があるか?[这首和歌采用了问答形式,问者与答者之间有怎样的差异?]

二 「問い」の部分に見られる対句表現を抜き出せ。[找出“問い”部分的对偶句。]

三 長歌とそれに添えられた短歌の関係について述べよ。[叙述长歌与附加在其后面的短歌之间的关系。]

なか

おもえ

とと

とり

山部宿祢赤人の不尽山を望める歌(そのうちの一首)

田子の浦ゆ うち出でて見れば ま白にぞ 富士の高嶺に 雪は降りける (山部赤人) 【注】

山部宿祢赤人・・・柿本人麻呂と並んで『万葉集』に多くの歌を残す代表的な歌人で、自然美を詠じた秀歌が多い。人麻呂と同様、三十六歌仙の一人に数えられ、歌聖として仰がれている。[与柿本人麻吕并列,在《万叶集》里留下大量和歌的代表诗人,其作品多为颂赞自然之作。与人麻吕同为三十六歌仙之一,且被尊为歌圣。] 不尽山・・・富士山のこと。尽きることがない・絶えることがない山の意から「不尽」という字があてられた。また、「不二山(二つとない山)」とも表記される。「富士」は、『竹取物語』では、たくさんの武士が登ったからそう呼ばれたというが、アイヌ語で「燃える山(噴火する山)」を「フジ」と言ったことから、そう呼ばれるようになったとも伝えられている。[富士山。由无穷无尽之意,得“不尽”二字。且可记作“不二山(别无第二座的山)”。根据《竹取物语》所记载,此山因大量武士攀登而得“富士”之名,而阿依奴语则也称火山为“フジ”。]

望める歌・・・はるか遠くに見て詠んだ歌。遠望した歌。[眺望远处,吟诵的和歌。远眺之歌。]

田子の浦ゆ・・・田子の浦を通って。「ゆ」は、経過を表す上代の助詞で、「~を通って」の意。[走过田儿浦。“ゆ”,上代用于表经过的助词,意为“~を通って”。]

降りける・・・降り積もっていたことだ。「けり」は、過去の助動詞だが、和歌の中では、詠嘆を表す用法として用いられる。[降落下来堆积着。“けり”,助动词,表过去,在和歌中用于表示感叹。]

【現代語訳】

田子の浦を通って、視界のよいところへ出てみると、真っ白に、富士の高嶺に、雪が降り積もっていたことだ。 【译文】

山部宿祢赤人观富士作品之一 步出田儿浦 胜景入眼帘 富士高峰上 皑皑白雪情 【解説】

この歌は前に置かれた長歌に対する反歌である。長歌には、天地創造から始まり、太古の昔から富士山は聖なる山であったとあり、その高嶺は遠くから仰ぎ見ると、太陽の光がその頂きに隠れ、照る月の光もさえぎられ、白雲の流れさえも阻まれてしまうとある。さらに、富士は降り積もる雪が四季を問わずその頂を白

たご

うら

しろ

ふじ

たかね

ゆき

やまべのすくねあかひと

ふじのやま

のぞ

うた

く染めている。このような聖なる山なので、これからも語り継いでいこう、と詠じられていた。その長歌をもとに詠み添えたのがこの反歌である。

この反歌では、雪に焦点があてられているが、赤人は富士山全体に強い憧れをもって、その荘厳さに打たれようとしてやって来たはずだ。これまで赤人は、富士山が他の山々に隠されて見えないところを通ってきたが、田子の浦のあたりから急に眺望が開け、その一瞬に聖なる富士の山を目にしたのであろう。だが、その感動を山全体の美しさや荘厳さとして表現するのではなく、高嶺の真っ白な清らかさという一点にしぼって表現したところに、長歌で述べた富士山に対する思いが象徴的に凝縮されていると言えよう。 【解说】

这首和歌是一首长歌的尾歌部分。长歌当中讲到,自天地开创,太古伊始,富士山便以圣山而在。从远处仰望其山顶,好似阳光驻足,月光隐遁,白云止步之处。且,富士山顶,四季积雪皑皑。歌中咏叹道,如此圣山,定当流芳千古。这首和歌则是作为那一首长歌的尾歌而诞生的。

在这首尾歌当中,虽仅以雪为焦点,但赤人对富士山全体的神往,以及山的庄严均跃然纸上。可以推断,赤人一路行走,最初山峦遮挡了美景,待到田儿浦猛然抬头远眺,瞬间富士胜景映入眼帘。作者意欲表达对眼前景致的感动,然而却并未描绘山整体的美和庄严,而是将焦点聚集在了山顶的白雪之上,以长歌的形式,凝结了对富士山的恒久憧憬。

わか

うら

しおみ

かた

あしべ

たずな

わた

若の浦に 塩満ち来れば 潟を無み 葦辺をさして 鶴泣き渡る (山部赤人)

【注】

若の浦・・・和歌山市和歌浦の玉津島神社の付近の海岸。[和歌山市和歌浦,玉津岛神社附近的海岸。] 潮満ち来れば・・・潮が満ちてくると。「ば」は順接確定条件を表し「~と」と訳す。[涨潮了,于是„。“ば”表顺接确定条件,译作“~と”。]

潟を無み・・・干潟がないので。「無み」は、形容詞「無し」の語幹「無」に、接尾語の「み」が接続したもの。和歌に見られる用法で、「~が・~に・・・(な)ので」と訳す。[因为没有海滩。“無み”,由形容词“無し”的词干“無”,加上后缀“み”构成的。出现在和歌中时,译作“~が、~に・・・(な)ので”。] 葦辺・・・葦の生えているあたり。[芦苇丛生的地方。]

鶴鳴き渡る・・・鶴が鳴いて飛んでいく。「鶴」は上代は「たづ(ず)」と読んだ。[鹤鸣叫着飞去。“鶴”,上代读作“たづ(ず)”。]

【現代語訳】

若の浦に潮が満ちてくると、干潟がなくなるので、葦の生えた岸辺を目指して、鶴の群れが鳴きながら飛んで行く。 【译文】

碧海潮生没滩涂 鹤鸣纷纷向苇丛 【解説】

絵画的構図の自然詠であるが、海辺から海上への情景を動的にとらえた点に特徴がある。鶴が葦辺を指して飛んでいくのは、潮が満ちて干潟がなくなり、えさを求められなくなったからである。しかし、この歌はそうした自然界の営みを感じさせるよりも、一幅の水墨画のような静かな自然美を感じさせてくれるものである。自然を美的対象として鑑賞するようになるのは、この赤人の時代から始まったようである。 【解说】

咏叹自然宛如绘画,笔触由海边推移至海上的动态描写是这首和歌的特色。鹤之所以飞向芦苇丛,想必是因为涨起的潮水淹没了海滩,使得其无法觅食。然而,这首和歌的旨趣却不在于介绍自然界的营生,而是展示给了读者好似一幅水墨画般的静态自然之美。赞美自然的文学创作,似乎正是始于山部赤人的时代。

はる

ひとよね

春の野に すみれ摘みにと 来しわれぞ 野をなつかしみ 一夜寝にける (山部赤人)

【注】

すみれ摘みにと・・・すみれを摘むために。「すみれ摘み」は、可憐なその花を愛するためではなく、当時はその他の若草と一緒に摘んで食用にするためであった。だが、この歌には「なつかしみ」いう感慨が添えられているので、食用にするという生活感はなく、むしろ花の美しさへの愛着が感じられる。ここでは、鑑賞のためと見て差しつかえないだろう。[为了采摘紫罗兰。采花在当时,不是因为怜爱可人的花儿,而是为了将其与别的若草一同食用。但是,在这首和歌当中,却极力表现怀念之情,反而鲜见用于食用的生活实感,从而使人感觉作者其实是钟情于花的美丽。因而,不妨将这首作品看做是对美丽花朵的欣赏。]

来しわれぞ・・・来た私は。「ぞ」は強意の係助詞で、「われ」を強めているので、「やって来たこの私は」という語感がある。[来到„的我。“ぞ”,系助词,加强语气,强调“われ”,“来到这儿的我 ”。]

野をなつかしみ・・・野に心がひかれるので。野に親しみが持てるので。「なつかしみ」は、シク活用の形容詞「なつかし」の語幹に、接尾語の「み」が接続したもの。和歌に見られる用法で、「~が・~に・・・(な)ので」と訳す。[因为醉心原野,所以„。因为亲近原野,所以„。“なつかしみ”是由シク活用的形容词“なつかし”的词干,加上后缀“み”构成的。和歌中常译作“~が、~に・・・(な)ので”。]

一夜寝にける・・・一晩寝てしまったことだ。一夜明かしてしまったことよ。「に」は完了の助動詞「ぬ」の連用形、「ける」は過去の助動詞「けり」の連体形で、前にある係助詞「ぞ」の結び。[竟然睡了一晚!竟然过了一夜!“に”是完了助动词“ぬ”的连用形,“ける”是过去助动词“けり”的连用形,与前面的系助词“ぞ”呼应。]

【現代語訳】

春の野に、すみれを摘みにやって来たこの私は、野に心ひかれたので、一夜を明かしてしまったことだ。 【译文】 和暖春风浴原野 摘花寻草紫地丁 魂牵绿野情难禁 枕草一夜到天明 【解説】

この歌は「春の雑歌(ぞうか)」に連作として四首のせられたものの一つ。作者の赤人が春の野で、一晩寝たのか起きていたのかは問題ではないし、本当に野にすみれを摘みに行ったかどうかも詮索する必要はないだろう。それよりも、この歌にこめられた野を愛し、花を愛する万葉びとの優雅な思いを味わうべきであろう。

この歌は、『源氏物語』の「真木柱」の巻に「野をなつかしみ明かいつべき夜を、惜しむべかめる人、身をつみて」というように、引き歌として取り上げられているので、『万葉集』以後、広く愛唱される歌となったようだ。 【解说】

这首和歌被认为是“春の雑歌(ぞうか)”四首连作之一。姑且不论作者赤人是否在春日的原野露宿过一宿,是否亲身赴野外采摘,相比之下,歌中蕴含的万叶诗人向往原野怜爱花草的优雅心境,更加值得玩味。 《源氏物语》中“真木柱”一卷中“野をなつかしみ明かいつべき夜を、惜しむべかめる人、身をつみて ”便引用了诗中,如此,《万叶集》之后,这首和歌也竞相被传唱开了。 【问题】

一 「田子の浦ゆ」を「田子の浦に」とすると、作者の動きがどうなるかを述べよ。[如若将“田子の浦ゆ”改为“田子の浦に”,作者的动向将发生什么样的变化?]

二 「春の野に」の歌には「に」が三回用いられている。それぞれについて文法的に説明せよ。[在“春の野に”当中,“に”被反复使用了三遍。请从语法角度逐一进行解释。]

うち霧らし 雪は降りつつ しかすがに 我家の園に 鶯泣くも (大伴家持) 【注】

うち霧らし・・・空一面を曇らせて。[使天空阴沉下来。]

降りつつ・・・降り続いて。「つつ」は、動詞の連用形について動作の進行・継続や反復を表す接続助詞。[连续降。“つつ”,接续助词,接于动词连用形后,表动作的进行、连续、反复。]

ゆき

わぎえ

その

うぐいすな

しかすがに・・・そうはいうものの、やはり。そうではあるが。「さすがに」と同じ。[尽管如此,但是„。虽然如此。与“さすがに”同义。]

我家の園・・・私の家の庭。「わぎへ」は「わが・いへ(え)」の短縮体。[我家院子。“わぎへ”是“わが・いへ(え)”的缩写。]

鶯・・・古来、春を告げる鳥としてその鳴き声が珍重された。「春告げ鳥」とも言われる。雀ぐらいの大きさで背面は緑褐色、腹部は白い。[自古以来,其叫声被当作是报春的鸣叫而受到珍视。也叫“报春鸟”。跟麻雀差不多大,背部为绿褐色,腹部白色。]

鳴くも・・・鳴いていることだ。「も」は詠嘆の終助詞。[正在鸣叫啊!“も”,终助词,表感叹。]

大伴家持・・・万葉末期の代表的歌人で大伴旅人の子。三十六歌仙の一人で『万葉集』の編纂者の一人とされる。繊細・優美で、感傷的な歌風で知られる。[万叶末期代表诗人大伴旅人之子。三十六歌仙之一,据传乃《万叶集》的编撰者。歌风纤细、优美、感伤。]

【現代語訳】

空をかき曇らせて、雪が降り続いている。そうはいうものの、私の家の庭では、鶯が鳴いていることよ。 【译文】

乌云长雪告冬末 庭内莺啼报早春 【解説】

家持の処女作と目される十五才の頃の作である。この歌は、冬から春への季節感の推移のうちに起こる矛盾を詠んでいる。冬のものである雪と、春のものである鶯とが同時に表れる早春の景を詠んだもので、ここには季節の移り変わりに対する若者の新鮮な驚きが表れている。 【解说】

这首和歌是家持的处女作,成于其十五岁左右。诗中咏叹了冬去春来,季节更替中产生的矛盾。咏叹冬雪春莺齐报早春的景致,体现了年轻人对于季节变换的新鲜感受。

はる

その

くれなゐ

おう

もも

はな

したで

みち

おとめ

春の苑 紅にほふ 桃の花 下照る道に 出で立つ少女 (大伴家持)

【注】

春の苑・・・春の庭園。「苑」は家の裏などにある庭園を指す。[春的庭园。“苑”指自家的庭园。]

紅にほふ・・・くれない色に美しく照り輝いている。「にほふ」は、美しく照り映える意で、嗅覚でなく視覚でとらえた美である。[照耀得鲜红美丽。“にほふ”,映照得美丽,用于表达视觉上的享受,而非嗅觉的。] 下照る道・・・その下の照り映える道。「下照る」は、花の色などでその下のものが美しく照り映える意。[映

照下的道路。“下照る”,在花的颜色的映照下,被映照的东西也显得漂亮。]

出で立つ少女・・・出て行って立っている少女。出てたたずむ少女。[站在外面的少女。伫立在外面的少女。]

【現代語訳】

春の庭園に、くれない色に美しく照り輝いている桃の花よ。その下の美しく照り映える道に出てたたずんでいる少女よ、ともに美しいことだ。 【译文】 庭园春日艳 桃红似争妍 花影洒幽径 少女醉人甜 【解説】

桃の花が咲き誇る樹下に美しい少女を立たせる構図は天平時代の美人画を思わせるが、桃の花と少女の配置は、中国的な美人の図をも連想させるものである。『詩経』の「桃夭」に「桃之夭夭、灼灼其華。之子于帰、宜其室家(若々しい桃の木に、今を盛りと咲く明るく美しい花。その花のように美しいこの娘が嫁いでいったら、先方の家庭にしっくりと調和するだろう)」とあり、また、三国時代の曹植の詩にも「南国有佳人。容華若桃李(南国に美人がいた。その姿かたちの美しさは桃や李の花のようだった)」などとあるように、若い女性や美人を桃や李にたとえることが多かった。

第一句・三句・五句が体言止めであり、『万葉集』の特徴である二句切れになっていないのは、「苑」「桃の花」「道」「少女」という大から小へ焦点を絞っていく手法を取り入れたためである。 【解说】

妙龄少女立于盛开的桃树之下,这便是天平时代的美人图的基本构架,桃花衬少女,也容易使人联想到中国的美人图。《诗经・桃夭》有云:“桃之夭夭、灼灼其華。之子于帰、宜其室家”,此外三国时代曹植也曾作诗:“南国有佳人。容華若桃李”,以桃李喻美人的作品不胜枚举。

《万叶集》的特点之一是以两句结句,在这首和歌中却并为体现。反而作者将一、三、五句以体言结句,且运用了“庭园”、“桃花”、“道路”、“少女”,依次从大到小聚焦描绘的手法。

うらうらに 照れる春日に 雲雀あがり 情悲しも 独りし思へば (大伴家持) 【注】

うらうらに・・・うららかに。のどかに。[明媚。晴朗。]

照れる春日・・・照っている春の日。「る」は存続の助動詞「り」の連体形で「~ている」と訳す。[照耀着的

はるひ

ひばり

こころかな

ひと

おも

春日。“る”,存续助动词“り”的连体形,译作“~ている”。]

雲雀・・・ひばり。雀よりやや大きい鳥で背面は黄褐色の地に黒褐色の斑がある。頭に短い冠羽を持つ。河原や畑などに住み、空高くのぼってさえずる。[云雀。稍大于麻雀,背部为黄褐色底板,黑褐色斑纹。头上有矮冠。栖息于河原或田间,喜飞上高空后鸣叫。]

情かなしも・・・心が悲しいことよ。心が痛むなあ。「も」は詠嘆を表す終助詞。[好悲痛!心好痛!“も”,终助词,表感叹。]

独りし思へば・・・一人でもの思いにふけっていると。「し」は強意の副助詞、「ば」は確定条件を表す接続助詞。[独自一人沉湎忧虑,于是„。“し”副助词,加强语气。“ば”,接续助词,表既定条件。]

【現代語訳】

うららかに照っている春の日に、雲雀があがり、心が痛むなあ。一人で物思いにふけっていると・・・ 【译文】

春光煦暖飞云雀 独思一人倍寂寥 【解説】

上の句には、明るい光に満ちた天と地が描かれているので、のどかな春の情景が心に浮かんでくるのだが、第四句から一転して、強い寂寥感と孤独感が述べられる。家持が国司の仕事を終えて都に戻ると、待っていたのは政治的な勢力争いだった。それに加わることを快しとしなかった家持は、憂愁の気持ちにとらわれていった。そうした状況の中でこの歌が詠まれたのである。「情悲しも」と詠嘆的に述べたあと、結句に「独りし思へば」と倒置句を用意し、孤独感を強調しているのである。自然への感情移入と自照性の強い詠嘆は、万葉後期の傾向を示すものであり、この歌は家持の代表作の一つと言ってよいだろう。 【解说】

上句描写天地间春光明媚,和暖春意,涌上心头。第四句笔锋急转,强烈难耐的孤独寂寥铺天而至。家持终结国司一职归都之后,等待他的却还是政治权势的斗争。为此,家持整日忧心忡忡。作此和歌。感叹完“情悲しも”之后,以倒装句“独りし思へば”结句,无尽的孤独,跃然纸上。对自然的情感投入和自我写照的感叹,是万叶后期创作的一个倾向,这首歌也成为了家持的代表作之一。 【问题】

一 家持の三首の歌の技巧についてそれぞれ述べよ。(分别阐述家持三首和歌的创作技巧。)

二 「うらうらに」の歌に込められた思いは「春愁」と同じものか?(“うらうらに”这首和歌中包含的,是“春愁”吗?)

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